歌詞のある風景。

これは前からも折に触れて書いてはいるのですが、やはりニコマス作品において歌詞と言うのは如何にかありがたいものだなぁと言うなんとも当たり前のお話です。

つい最近でそれを思い知ったのが何をか言わん、今年の春香さん誕生祭に置いてkenjoPの「紅の花」と双璧となったトカチP×少年P×DSPの「さよならメモリーズ」です。

正直な事を言うと恐れ多い事ながらトカチPのシンクロがあったとは言えど初見ではこの作品にあまりノリきれなかったのです。勿論少年Pの作品でもあるのですから歌詞シンクロな作品である事は解っていました。しかしながら音楽の良さと、それにあわせた春香さんの魅せ方だけですらっと流れるように見られてしまう。そしてそのまま、すーっと終わってしまう。そしてインパクトとしてはけして派手な作品ではない。で、流してみてしまうと演出も良くあるそれでも好きです。と言うもので、なんとなくふーん、凄いな。で終わってしまったわけです。
このそのままでも十分に見てしまえるからこその、そこから一歩進む事への気だるさ、が邪魔をして初見のノリの悪さになったわけです。
で、それから二日程置いて、ようやく見直して見ました。歌詞職人の桃色の歌詞がひっそりとつけられていました。ええ、ラストでは泣きましたよ。なんと春香さんの思いが瑞々しく感情を揺さぶる事か。歌詞が映像になってガンガン心にぶつかって来るんですよ。素晴らしいだろう。感動するだろう。
で、思ったわけです。やっぱり歌詞コメントって自分にとってはとても重要なんだなぁと。こんな素晴らしい作品が歌詞がつくだけで一目で心に飛び込んで来るんですよ。こんなに素敵でありがたい事はない。やはり歌詞シンクロ作品には歌詞職人が欲しい。と言う事を痛感した一時でした。

以前は音Pの作品にも歌詞が欲しい歌詞が欲しいと言っていたんですが、最近は完全に音P作品の様式美が確立してしまったのと、曲にのせてくる演出やシンクロがどんどん上手になっているのとで、まあいいかなぁと思えてきたりw

でもやっぱり歌詞職人が入るとね、心への届き方が違うと思うんですよ。映像と一緒に音に重ねた言葉が入ってくる。この視覚と聴覚の結合の快感ってやっぱりイイと思うのですよね。

同じようなところで上記歌詞シンクロと並んで重要なのは英語曲の和訳歌詞です。
これは最近で言うと(と言うほど最近でもないですが)つかさPのこの作品。

2009年下半期の20選でつかさP作品の中でも選び抜いたのがこの作品な訳ですが、この作品の感動もやはり歌詞職人無しでは語れなかった。
「結局のところ、誰もがひとりぼっちなんだよね」から始まる寂しげな入り口から最後の「そう、笑いあおう!」までアイドル達の導きのもとで一段一段とステップを上がっていくこの称揚感。この上り詰めていくような快感は歌詞シンクロへと導いてくれる和訳歌詞がなければありえなかったと思います。

ちょっと時期は戻りますがharuharaPの初手描きメインの作品。

何処かで話しましたが、和訳歌詞は初めて自分がつけてみました。正直ただ下センター小で貼っただけでタイミングもずれて酷い出来ですが、それでもその作品の不思議な切なさや真の表情を解釈するには和訳歌詞は必要だと止むにやまれずにつけたのを覚えています。
まあ事ほど然様にニコマス(まあニコマスに限らず)PV作品は歌詞シンクロと言う素晴らしい演出方法があるわけでそれを輝かせるにはやはり歌詞職人の腕、あるいは歌詞付けと言うのが必要だなぁと痛切に感じたわけでした。

デザイン的な存在としての歌詞と言うのも勿論あるわけですが、まあその辺りはorgoneP、かきP、卓球PからエコノミーPのます。やら極北は機能美Pを経て英峰氏までいっちゃう程、作品として昇華されてるので良いでしょう。
そう言えば最近見直したカマトロPの「弱小事務所」シリーズの一期、二期OPの歌詞職人は相変わらず良い仕事です。濡れました。悪林檎影絵の白黒歌詞職人並み。

閑話休題

まあ締めとしてやっぱり歌詞シンクロ作品は歌詞があってこそ栄えるよね、と言う話。歌詞職人に期待するのがニコ動の流儀かも知れないけど、最初から入れてある作品と言うのもちと見てみたい。でもやっぱり作者さんからすると蛇足と言うか、気恥ずかしいのかな。何か自分の作品の解説を自分で書いているみたいでwww