イベント じっくり語り語られてみよう。 -チヒロP-

チヒロP アイドルマスター 「セラミックガール」 半PV

イベント 『じっくり語り語られてみよう』に参加し,作品について語っています.作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.他の方の語り記事一覧 → 『No.21: 「セラミックガール」 半PV

どんな作品なの?

さて、まずは単純に作品について。
全体の作品構成への感想については12/6の記事に書いた通りの認識。

半PVと銘打つように冒頭部とラストはRRoDとそれから復帰した箱○と言うよりも『無印の春香』を、PV部分が所謂『ニコマス的な春香』を描いている。

0:10-のPV部は抜いて光らせる王道のPerfumeM@ster構成。淡い中間色と光の中で踊り歌う様は鮮やかでまさにニコマス的な春香に相応しい。0:40-の『言葉』もそれを強調する。"柔らかできれいな言葉たち並べておだやかでやさしい人になれるわ"

"新しい世界で自分を隠して たぶん でもね"『私は』

0:51- 逆説と共に歌詞が入る。それは漏れ出す『無印の春香』の声。
生きている、作り物じゃないが強調されコミュシーンが挿入されるのも『無印の春香』と『ニコマス的な春香』との対比と葛藤をイメージさせる。そしてPVの終りと共にRRoDも終り。赤い世界から色彩を取り戻した箱○の無印の世界への春香はにこやかに帰っていく。セラミックガールのPVはAパートで終わっているがBパートの歌詞を見てもこの対比への暗喩は明確に感じ取れて成る程この選曲かと納得出来る。

まあそう言った作品の表面上のストーリーは普通に見れば読み取れる事だ。
そこにあるテーゼにこめられたメッセージのベクトルが奈辺にあるのか。ストレートに取れば『ニコマス的な春香』へのアンチテーゼか、あるいは皮肉かと取れそうだ。傍証としてMSC3ではこのPV部のみが取り出されて掲示された。そしてこの作品が勝ち抜けなかったのは意図して作られたかに見えるあざといまでの"抜いて光らせるPerfumeM@sterの典型"が否定された結果であるとも言える。
ここまで来ればこの作品の意図がニコマス民に『ニコマス的な春香』を敢えて否定させると言う皮肉な試みではないかとまで勘繰る事さえ出来なくは無い。

さて、では果たしてこの作品はそう言う作品なのか。いやいやとんでもないという事なのだ。
どんなに投稿者コメントでリードされても、直感的に感じるこのPV部の出来は素晴らしい。衣装も、色彩も、カメラワークもカットシーンの挿入も、PerfumeM@sterとしての、そして『春香』の魅力に溢れている。チヒロPの高画質高シンクロとカメラワークの妙がふんだんに盛り込まれた、俺にもこれだけキャッチーな作品が作れるんだぜ!と言う自信と稚気が感じられる名作だと思う。是非PV部フル希望である。
では作品全体を通して見た時には?と見ればそれはこれだけのストーリーが語れるくらいの、『セラミックガール』と言う楽曲との歌詞シンクロの高さを見れば良いだろう。トータルのストーリーPV作品としても、そのラストの余韻の長さを含めてなんと良い出来では無いか。

でお題は?

さてここまで来てチヒロPからのお題である。

ニコマスの現状をある程度踏まえた上で、この動画について「ここが好き・ここが嫌い」と言うことを通して、ご自身が今求めるPV作品の方向性を語っていただきたいと思います(ポイントとしては、選曲、アイドルの人選、765コマンドの使用、内輪受け要素、ストーリー性の有無、テーマの分かりやすさ等)

これは難しい。何故ならニコマスPVの作品の幅自体が一作品を通して語れる範囲には全く留まる事が無いからだ。
重ねていうのであれば個人的にこの作品のここが好き、ここが嫌いを語るのであれば、ここが嫌いと言う部分が無いからでもある。

今のニコマスPVは本当に多様だ。かつて無印の限られた素材を基にしてさえ様々な表現・技法が模索され、提示されて来たこのジャンルはL4U発売、次々と追加される新曲、そして七夕革命と直接素材の爆発的な増加多様化に加えて、モリモリソザイの存在、手書きPの相次ぐ参入等々の間接素材の提供も加えて、当初に比すればほぼ無限の可能性を持っている。
PVの方向性もあくまでアイドルをメインとした作品から、敢えてアイドルを素材としてしか捉えない作品まで、その濃淡は様々だ。

しかしまあポイントと言う形でヒントを貰っている事だし、そのポイント毎にこの作品に添って語っていこう。

選曲

中田ヤスタカ作品とアイマスMADとの親和性は今更語る事でも無い。PerfumeM@sterも含め使い古された感が巷にはあるがとんでもない事だ。mmtsgzkwys氏のエレクトロ・ワールドに敢えてリスペクトと言う事で挑んだからこそulaPのあの金字塔たる名作があるように、Pが作りたい曲を趣のままにしゃぶりつくさんばかりに使って戴きたい。それを見るのが幸せなのだから。

人選

春香と言う何色にも染まり、周りの全てからその魅力を吸収する事が出来るオールラウンドなカリスマ性はアイマスPVの定番と言われるPerfumeM@sterにも相応しく馴染む。個人的にはPV部分は是非あずささんで創って貰いたいと熱望するが(笑 まあそれは趣味の領域だ。
でもあずささんのPerfumeM@sterも良いと思うんだけどなぁ。どうなのさ巷のPの方々。

765コマンドの使用

純粋に作品を構成する手段であってそれの有無が作品の素晴らしいさに直結するわけでは無い事は昨今のおっぺけPの『MADアイドルマスター 千早&Friends 今夜は青春』やsilence*Pの『THE iDOL M@STER Pizzicato Five 『tout, tout pour ma ch〓rie』 完成版』を見れば明らかだろう。
ただ、見る方から言わせて貰えれば、ただ抜いて光らせるだけであれば容易に実現が可能になった現状に置いて、『それだけ』の作品が淘汰される、そこをステップとした作品が続々と誕生した事は喜ばしい事だろう。まあこんな事はとうに各所で語られている事だが。

内輪受け要素

これも上記と同じ素材である。ルサンチマンだろうがもんげ!だろうが要は料理の仕方であって、またPが何者を対象に何を表現したいかの表出でもある。言ってみれば完全に一般化したとかちでさえ内輪受けと言えば内輪受けなのだ。作品やアイドル達のキャラクター付けのスパイスとして効果的なら問題は無いだろう。また個人的には箱○無印的なアイドルとニコマス的なアイドルの差異に関する論争に組するつもりは全くない。理解できて楽しければ何でも宜しいだろう。原理主義とは不可避であり、得てして熱くそしてウザいものだ。何に置いても。

ストーリー性の有無。

逆に聞きたいのだがPが作品を作るときにストーリー性を持たせるか持たせないか、その意図の起点なるタイミングについては興味深い。単純なダンスシンクロ動画から作り始めるうちに歌詞が気になってそこからストーリーが飛び出してくるような楽しげな瞬間もそこにはあるのだろうか。うーん、創作の妙味。まあそんな出来すぎた話があるのか無いのかはともかく。
例えば歌詞からにせよ、アイドルのキャラクターからにせよ、楽曲のPVやその楽曲の利用された作品からにせよ、齎されたストーリー性の有るPVの作成にはそれら対象に対する意図、理解、表現の深さが要求される事は確かであり、それだけに練り込まれた力作も数多い。またその多くに長く残る余韻を感じられるのも素晴らしい事だろう。この作品がそうであるが故に好ましいこともまた既に述べた。
しかしそれではストーリー性が作品の優劣に関するのかと言えば数多有るダンスシンクロ系の名作を見れば答えは直ぐにわかる。また例えば踊る春香さんに恋するヨルPにとってそこで踊る春香さんの存在こそが一つのストーリーであるようにストーリー性それ自体もまた多彩な意味合いを持つわけだ。

まあモルトで言うなら長熟の余韻の長い60年代蒸留のシェリカスクはそれはまさに至高の如くに美味いのだけれど、アードベッグベリーヤングやポートシャーロット3年のような若く荒々しく魅力的なモルトの美味さと比べる話でも無いのだ。

テーマの分かりやすさ

まずはそもそもテーマを読み取って欲しいの?しかも誰に?と言う話である。読み取って貰いたいならばそれなりのアプローチをするのだろう。この作品では投稿者コメントにヒントを置き、そしてこう言う企画に参加している。そして読み取るのはアイマス好きニコマス好きの語り好き。非常に狭く小さいコアブロックだ。
見る側にとって直感的に気持ち良くて見るだけで楽しい作品が受け入れ易いのはあたり前の事で、それだけ作品の間口が広くなる事も明らかである以上、テーマは勿論わかりやすい方が良いのだろう。
でもそう言う作品が本当に作りたいものなの?って事なのだ、要は。で、僕としては、ニヨニヨしながらそうでない作品を待っているまあ稀な人間の一人でありますよと言う事なのだ。

まとめ

結局、何事も多様性があるんだから望むPV作品の傾向なんて一口じゃ語れないよねって事を回りくどく言っているだけなのだ。
なんと言う長ったらしい言い訳文章。

ただ誤解を恐れず言うのなら僕は、アイドルが実際に歌っているような仮想現実に引き込んでくれるようなPV作品がとても好きだ。
アイドルマスターのアイドル達がとても好きで、彼女達が歌い踊り語る姿が本当にとても見たいから。
だからそんな体験を毎日させてくれているPさん達にはとても感謝している。そこには尽きないアイドル達の様々な姿があるから。

どんな傾向であれ、作りたい作品を作るPが居て、それを誰かが見て何かを想う。その幸福な関係が少しでも長く続きますように。

(綺麗に纏めたつもりで全く締まっていない)