イベント じっくり語り語られてみよう。 No.26: 『ロストマン』  - R(略)P -

イベント 『じっくり語り語られてみよう』に参加し,作品について語っています.作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.他の方の語り記事一覧 → 『No.26: 『ロストマン』

以下格納。


【語り視点の注文】
1.内容について
動画のタイトルである”ロストマン”は、直訳すると”迷子”という意味になります。
なので自分はこの動画の中で、Pを迷子にしてみたつもりです。
その事を前提として、この動画のPは何故迷子になってしまったのでしょう?
動画からだけでなく、想像を含める形でも問題ありません。

2.映像について
貴方は、普段”静止画主体”の動画をよく観ますか?
よく観られる方はどの辺りに注目して観ているか、
あまり観られない方はその理由を教えてください。

また、その書かれた事を考慮したうえで、この動画(特に静止画部分)はどういった感想を持ちましたか?


1.内容について

一心不乱に歩いてきたその道で、それでもふと立ち止ってしまう時が人には必ずある。それが悪路ゆえに躓いたのか、長い道程への餓えや渇き、疲れなのか。
この作品に置いて、プロデューサー、彼が『立ち止まった原因』については歌詞や静止画、投稿者コメによる示唆に留まる。繰り返すプロデュース、その度の出会いと、そして必然的な別れが空虚となって、突然に心を襲う。そう言った風景だ。
そして立ち止まり、ふと振り返った時、そこには『春香』が居る。
春香との別れはアイドルとの出会いと別れ、その最も象徴的なものとしてこの作品でも描かれる。彼にとってのもしかするとファーストプロデュースであったのかも知れない。幾多のアイドル達のプロデュースを繰り返して、なお、彼はその瞬間、つまり春香との別れを振り返る。それだけ、春香との別れにはやはり印象的なものがある。他のアイドル達との別れと異なり、彼女はその時からずっと『待ち続けている』のだ。そして待ち続ける春香を残して、戻れない道を進むしか彼には出来なかった。
そして待ち続けている春香を彼は迎えに行く事は出来ない。メタ視線としてのプロデューサーであれば当然に。そして作品世界であれば何故かの理由で。それ故に、春香との別れ、そして『待ち続ける』春香に対する解決策は無い。春香に思いを残す事はその時点で、出口の無い迷路に嵌りこんでしまったようなものだ。

自らの立ち位置、そして目的地を春香にした時から彼は行く先を失うしかなかった。そう彼は迷子になったのだ。

しかし彼はそこから再び前を向き、歩き出す事を選んだ。春香を『思い出』として昇華し、過去の別れと『訣別』する事で。彼の手書きの地図、望んだ世界。新しいアイドル達と出会い、そしてプロデュースしていく道を歩き出す事を選ぶ。不器用な旅路、間違った道であっても、その行方が正しい事を。そして何時か、『再会』と言う、解決策がある事を『祈り』ながら。
そう、それは『祈り』である。最高のプロデューサーになる事が彼の行く先への『望み』なのに対して、それはただの敬虔な『祈り』。行く果てにあれかしとただ願う事。だからこそ、在り得る筈の無い『再会』を彼の心に、そしてこの作品を見る我々の心に実在として生かし続ける事が出来るのだ。
してみるとこの曲を選び、この作品を作った事こそ、R(略)P自身への、そして春香を愛する幾多のプロデューサー達に対する明確な一つの回答であると言える。


2.映像について

静止画系MADと言うのは元々MADの本流である。それには素材の問題や技術的な問題もある訳で、勿論静止画系作品には動画の代わりとして静止画を使う作品も多くある。しかしニコマスとしての静止画系作品の特徴的な利点はやはり静止画を使う事で齎される時間と、その時間を様々に利用できると言う点だろう。
動いていく映像を目で追うのに比べて、視聴者の視点が固定される為、その映像を効果的に強調する事が出来たり、その視点が固定される時間にストーリーを付加し、視聴者に認識させる余裕があると言う事だ。ゆえに静止画系作品は歌詞シンクロを求める場合やストーリー重視の作品が多く、それ故に印象深い作品もまた多い。
しかし、その反面、その特徴的な時間的余裕が、緊張感を殺ぎ、テンポの悪さ、飽き易さを助長してしまうと言う危険も孕んでいる。それ故に全体的な演出構成がより重要で考えが必要だ。
そう言う意味で楽曲のメッセージをストレートにアイマスの世界で紡ぎ語るストーリー(ドラマ)派のR(略)Pとの相性は良いと思われる。
特にこのロストマンは作者が語(りたい)る作品であり、視聴者に考えさせ(たい)る作品だ。歌詞と映像をマッチングさせる時間を視聴者に求める為に、そして作者が自分の語りたい事を作品に投影する為に、ベターな演出方法であっただろうと言える。またそれゆえに一つ一つの静止画も相当に練ったに違いなく、その労力と、それが齎した感動に、改めて作者に心を込めた御礼と感謝を捧げたい。

お疲れさまです。そしてありがとう、ありがとう。