イベント じっくり語り語られてみよう。 -書店P-

イベント 『じっくり語り語られてみよう』 に参加し,作品について語っています.作品へのネガティブな表記・ネタばれを含む場合がありますが,イベントの趣旨に乗った上での記述とご理解ください.他の方の語り記事一覧 → 『No.17: 真 手描き「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」

今回は書店Pの作品です。

このメモ書きライフで発表当日に少し書き付けたものもありますが改めて語らせていただきます。
http://d.hatena.ne.jp/karasu_01/20081103/1225724088

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奔放にこの作品を語る。


あくまで菊池真が主演の楽曲PVとしてこの作品を見た場合に、正直なところそれが静止画であれ動画であれ総合的な完成度にそれ程の意味は無い。
それは作品を構成するにあたってのアプローチの違いであり、その完成品を持ってどう受け止められるかが要諦だ。

この作品が静止画の羅列と言うのであればそれは確かにそうなのかも知れないが、しかし、このスローテンポで聞かせる曲であれば逆に激しく動くような動画の必要性は全くないと考える。ダンスシンクロで作品を構成するのだとしてもかなりのスローシンクロになるであろうし、場合によっては切り抜き静止画や一枚止め実写背景の演出も必要であろうと想像される曲目だ。
それに対してこの作品で言えばそれは口パクと言う、思った以上に重要な画像加工と歌詞の効果的な挿入によって画面構成的に十分に満たされている。
さらに言えば、1:05-や1:30-、1:37-、1:45-のそれぞれの絵には明らかにそこにある風を感じるし、1:17-のそれには確かに真の息吹だって感じられるのだ。
実際に動いている必要が何処にあると言うのか。

この作品における口パク、リップシンクロの加工はまさにこの作品の肝となる重要な部分だ。
それは『菊池真が歌っている』と言う当たり前だが必要不可欠なステージを満たす。それにしても何時も思わざるを得ないのはこの、アイドルマスターのアイドル達が歌を歌い上げる、その仮想現実の世界に震える心の幅であり感動だ。それを与えてくれたこの作品には本当に感謝しているし、それであればそこに静止画なり動画なりのアプローチの問題は当初のように全く不要と思われる。それが私なりの第一の回答だ。

そして主役となる菊池真に焦点を当ててこの作品を見るならば、やはりそこに居るのは普段とは違う真の存在だろう。
プロモーションビデオとして見た場合、明らかに真は演じている。
その姿を我々は見ている。

普段は纏わぬ白いワンピースに身を包み、そこには居ない誰かを想いながら高く遠い夏の蒼空を見ながら、自らの身体は今ここに在る。その遠くへと届かぬであろう想いを歌に乗せて馳せる。

高く遠い空の青の画面演出は非常に効果的だ。不安も、迷いも、希望も、そこに在りそして見えるけれど、届かない。何時かは届くだろうかと手を伸ばすその手にも躊躇する。
それは歌詞と共に演じられ、見せられるストーリーだ。

だがしかし、ふと思うのはラストシーンのその笑みは何を意味するのだろうかと言う事だ。決別した事に対するつかの間の安堵だろうか。
しかし演じている真と言う視線に立てば、「別れを想った」まで演じていた真が、ふと自分に戻った瞬間を切り取った。そんな風にも思える。

その視線の先に居るのが撮影中も見守り続けてくれているプロデューサーの姿であったならば。そこに確かに貴方は在る。そして共通する夢へと向かっている。その事への安堵の微笑みだったとしたならば。

そしてさらに夢想するならばその想い、確信へのほんの一抹の不安、揺らぎがその伝う涙に微量に含まれていたのならば。

そんな事をつらつらと夢想して本稿を終える事とする。
相変わらず後からの加筆削除訂正があるかも知れない事はお伝えしておく。

・・・してみると逆に最後の真のこの微笑みに込めた書店Pの気持ちを知りたくなったったりもするものだ。